皆さんこんにちは、こんばんはRinです
前回の記事で、
https://www.rin-world.com/entry/keitsui-sonsyou-tatakai
昨年の9月から世界へのDOORのブログが更新できなかった理由→頸髄損傷の症状になって、そのなってしまっ
た理由などを皆さんにお話ししました
今回からはその続きで、頸髄損傷等病気というタイトルで、昨年の9月から今年の4月まで入院していた期間、その時の気持ちや
看護師さんや看護助手さん介護福祉士さんとの話や、やりとり
病棟にはどんな患者さんがいたか、
どんなリハビリをしたか
自分としても記録に残していきたいという気持ちと、また皆さんに入院していた間どうしていたかをお知らせしたかったので、今回書くことに決めました 🙇♀️💡✨
(もちろんずっと闘病関連の記事をずっと続けて更新するつもりでもなく、今まで通り、英語やためになる記事、見て面白いと思うような記事も投稿していきたいと思っています!)
[頸髄損傷闘病記①] 体が動かず1番目の病院のICUに運ばれ、、
自分のアパートで頸髄損傷と言う症状になってしまい、意識が朦朧としながら昨年の9月2日の夜、
救急車の救急隊3人の方に運ばれて、急性病院まで行きました
救急車に乗っている途中、私は意識を失って心肺停止状態になり、数十分間呼吸をしていなかったそうです😰💦
その後目を開けたら救急隊の方3人が、一生懸命私の呼吸を取り戻そうとバタバタ懸命にしている姿が目に見えました
私の視界はものすごいぐらぐらしていて、目は開いてはいるものの、いつもと違う状況でパニックになってしまい、叫んでしまいました、、、
助けて!!!助けて!!!
と
そしたら1人の救急隊さんが大丈夫だよ!と私の右手を触ってくれて、
絶対に目を閉じちゃだめだよ!病院に着くまでに絶対目を開けといてね
と言われ、私は目をつぶりそうになりながらも目だけは開けとくようにしていました
救急隊員さんに言われ、ずっと手をつないでもらっていた感覚は
今でもはっきりと覚えています
急性病院に着き、その時は夜の8時ごろだったと思います
私はストレッチャーですぐに緊急手術に入り、約3時間の手術が行われました
両親は病院にいたのですが、離れ離れになり後から知ったのですが、両親は生きるか死ぬかのわからない大変な手術になるかもしれないと言われていたそうです
私はというと、意識はあるもののすごい朦朧としていて、呼吸もすごい苦しくて吸えないし履けないし大変な状態でした😢😰💦💦
周りにはたくさんのお医者さんや看護師さんがいて、まず私が着ていた服をハサミで破られ、お腹の機能が弱まっているのかそれを色々確認しながら必死に3時間手術を受け、夜の11時に無事に手術は終わりました
私も何が何だかわからない状態で涙が止まりませんでした、、、
私は簡単に考えていて、これでもう家にいて安静にしていれば大丈夫かなと思っていたのですが
両親と先生から言われたのは、しばらく病院に入る必要があると言われました
母親もその時泣いていたのを覚えています
私自体入院するということ自体が精神的にもとても辛いので、入院するのがとても嫌だったのですが、でも自分の体の為にも入院しなきゃいけないと思い
そこの急性病院に入院することにしました
まずは命が危険な状態なの、ICUに三日間いました
口と鼻にマスクをつけて、常に酸素濃度を測っている状態です
水も飲んではいけない状態で、他の患者さんも苦しいような訴えを看護師さんにしていたり、私もこういった緊急手術のような場所に置かれるのは初めてだったので
とても精神的にも緊張して、、不安でどうしていいかわかりませんでした😢😢💦
睡眠剤を飲ませてくれる新人の看護師さんが、、、
私はその時たまたま髪の毛を金髪にしていてそのためか、すごい嫌な経験をしたのは
ICUで夜に寝る睡眠薬の薬をもらう時に、多分新人の看護師さんだったのですが
私に薬を飲ませるのがちょっと怖いみたいな感じだったそうで
先輩の看護師さんに、
あの人強そうで嫌だ😩
ギャルみたいな人なんて大嫌いなんですよねLINEとかだったら絶対ブロックするタイプ😂😫
とすごい聞こえてくるので、、、💦
私も動けないなか、そして痛みに耐えているなか、そういった言葉を先輩の看護師さんに言っているのを実際に見て聞こえて、、、とても辛かったです
確かに私自身実際その時は金髪でもあり、入院当時ピアスもつけていて
今ここでこの記事で初めて言うかもしれませんが、、、
私は右肩と左足首にタトゥーを入れているので、(アメリカに滞在している時に入れたのですが、もちろん日本では変な目で見られたり偏見などもあるということを理解した上で入れました)
その新人の女の子は怖がっていたのかもしれません💦
先輩看護師さんになだめられて、その看護師さんが私のところにそわそわ来て、薬を飲ましてもらいました
その新人女の看護師さんに飲ませてもらうまでの間がとてもすごく長く😢😭💦💦
本当に辛かったです
確かに見た目だけで判断するのは世の中であり得ることではありますが、
私自身死ぬか死なないかの事態で、そんな態度をとられて、、
確かに新人さんだからそういった怖さはあるのかもしれないですが
看護師さんとしてちゃんとした態度をとって欲しかったなと今でも思っています、、、
実際に、私とその新人の看護師さんと話してその後、先輩の看護師さんに
別に怖い人じゃありませんでしたすいません💦と言っていたので私は何とも言えない気持ちになりましたが、、、😥その時は薬を飲んで無事に寝ることができました
2回目の死に直面
2日目、また救急車に乗っていた時と同じく大変な事態が起きました
夕方頃呼吸が苦しく息をすること自体が苦しく、体も動かず腕も動かずビリビリした状態だったのですが、なんと血圧が40まで下がり熱も39度7分までになり
意識本当に朦朧としてきて、、、
私もこれで死ぬんだなあ
これで最後なんだなあ
と思い、泣きながら大勢の看護師さんとお医者さんにまた2回目の手術をしてもらいました
その時私は、看護師さんに
まだ死にたくない!!!
と大声で言ったのを朦朧としながらも覚えています
何とか施術をしてもらって落ち着いたとき、
私はすごい泣いていたので、男性の看護師さんが、大丈夫だよとティッシュで涙をふいてくれたのを覚えています
そういって、何とか私の命は救われました
ICUでの生活は本当に大変でした
元々水を飲むのが好きなので、水を飲むのはダメと言われていたのでとても辛かったです
点滴でとっていたので体に対しては大丈夫だったのですが、口から飲むといった行為ができなかったので、苦しい思いをしていました💦
優しく丁寧な新人の看護師さん
ただICUの中ですごい印象に残っているのは、
新人の女の子の看護師さんに髪の毛を洗ってもらった時です
私は元々人と話すのがとても苦手な方で、最初は少し静かに話すタイプなのですが、その新人の女の子は私の髪の毛を丁寧に洗ってくれて、
とにかく様々な話をしました
私は韓国のBTSが好きだったので、その話をしたら、私も好きなんです☺️💕と言ってくれてその話で盛り上がったりもしました
ICUに入って辛い中で、唯一優しそうな感じの女の子と話せて、シャンプーもしてもらえてとても気持ちよかったなと思えた瞬間でした
その女の子は私にいろいろ話してくれて、看護師になりたくて1年間勉強したものの落ちてしまい、また悔しくて再度看護師の試験を受けたそうです
そしたら受かってとても嬉しくて、私が最初にいた病院につい最近勤め始めたそうです
そんなこんなでICUには三日間いたのですが、体調がだんだん少しずつ危険な状態ではなくなってきたので
普通の病棟に入るということになりました
そこが脳神経内科
ということで、後の記事で書くのですが、ICUよりもすごい大変な思いをしました😰😭😢💦
次回の記事でその脳神経内科の病棟にいたときのことをお話しできたらなと思います
ここまで読んでいただいてありがとうございました🙇♀️✨
私もこの記事を書いているときに、昨年の9月こんなことがあったなあとしみじみ思っています
頸髄損傷闘病記の、第1弾ともなりますが、次の第二弾も読んでいただけたら時間のある時に読んでいただけたら幸いです
皆さんいつもありがとうございます😢💕✨
今回の記事はここで終わりにしたいと思います
Twitterも毎日やっているので時間のある時に見ていただけたら嬉しいです