ー世界へのDOORー

アメリカ留学経験済みの筆者が英語や留学、海外の文化等を紹介したり、自分自身が興味あるものをひたすら記すブログです。

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[頸髄損傷闘病記③]リハビリセンターで猛特訓!痛みや痺れとの闘い

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皆さんこんにちはこんばんは!Rinです☺️✨

今回の記事は、私が昨年の9月に頸椎損傷といった症状になってしまい、そこから入院して退院するまでの記事を書きたいと思い、頸髄損傷闘病記として今まで記事を書いてきたので、その入院中のときの記事を今回も書きたいと思います!

急性病院からリハビリセンターに移り、そこで毎日リハビリをして、体をなるべく元に戻すために猛特訓をしました💪💪😖✨💦





どういったリハビリをしていたか、
痛みやしびれもある中で、私自身がどういった感情や気持ち、考えを持っていたか
どんな入院生活をしていたか
この記事でまとめて書けたらと思います
そして皆さんにも私の身に起こった症状をお伝えできればと思います

まだこちらの記事を読んでいない方はこちらを最初に読んでいただいきたいです🙇‍♀️✨↓

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[頸髄損傷闘病記③]リハビリセンターで猛特訓!痛みや痺れとの闘い


昨年の2022年9月2日に頸髄損傷といった症状になり、救急車で急性病院に運ばれ約1ヵ月半そこで過ごしていました

そして10月15日、介護タクシーに乗ってリハビリセンターへ行くことになりました
リハビリセンターに着いた時、私はどういった建物なのかどういった外観なのか最初全くわかりませんでした💦
何故かというと、その時は車椅子にも乗れないため、ストレッチャーで移動していたので空や天井しか見えず、そのリハビリセンターで約1ヵ月経った後に、ようやくそこのリハビリセンターの構造や建物の内観がどうなっているかといったことがわかるようになりました


リハビリセンターに入院したはいいものの、、


3階の病棟だったのですが、まず最初に驚いたのはおじいさんやおばあさん、高齢者の方がすごい多かったということです😅😖💦💦

私は急性病院の時に、両親などに「リハビリセンターに「行けば色々症状など、痛みなどをお互い話して分かち合える人ができるかもしれないね」と言われていたので、少しそういった、お互い支え合うことのできる仲間といったものができるかなあと思ったのですが、私が入院した3階の病棟は若くても40代、そしてほぼ70代80代90代のおばあさんおじいさんでした


また私が行ったリハビリセンターは後から知ったのですが、どちらかと言うと症状的には脳梗塞や脳出血など脳に関する病気の人が多く、また認知症の方も多かったです
そういった症状の違いがあり、私は頸髄損傷で病棟に入ったのですが、
そこのリハビリセンターには頸髄損傷はその入院していた期間は私だけだったと思います💦
なので私の症状の悩みについてお互い話し合える人がなかなかいなかったので、とても辛かったなあと今しみじみ思います😥


自分の部屋は2人部屋でした
私は6ヶ月約半年長いこといたので、同じ部屋にいる患者のおばあさんに3回見送られました😅💦
「がんばってね!Rinさんまだあなたは若いんだから」と、私もそのたび会釈をして「がんばります」と言いました

すごく覚えているのですが、リハビリセンターに着いた初日、消灯になって目をつぶって眠ろうとしていたのですが、なかなか寝られずものすごい不安定になってきて、
看護師さん、お忙しい中ナースコールを何回か押してしまい💦
夜中の5時ぐらいまで起きていて、ほぼ寝れなかったと言ってもいいと思います
多分新しい環境に移った初日のため、色々自分の部屋やまだ環境に慣れていないため、また看護師さんや介護福祉士さんともまだ誰とも喋ってないためいろんな不安や、緊張感があったから全く眠れなかったんだと思います😰

看護師さんは以前いた急性期病院に比べると、お母さん世代の看護師さんが多かったです
もちろん若い看護師さんもいました
20代や30代など看護師さん自体いい人たちばかりで、
まあ苦手な方もいたのですが💦💦😥😰その人以外は6ヶ月いた間看護師さんは私によく接してくれました



毎日3時間ひたすらリハビリ猛特訓!

そこのリハビリセンターでは、私がリハビリするときに担当するリハビリの方が2名いました

それは「作業療法士」さんと「理学療法士」さんです

私は最初作業療法士さんと理学療法士さんの違いがあまりわからなかったのですが、その担当のリハビリさんに聞いたら
作業療法士さんは主に手や腕など細かい操作、動かし方などを重点的にする理学療法士さんの場合は足など主に体を使ってリハビリをするといった感じと言われました


私の場合全く動けない状態だったので
最終的に私の担当の先生とリハさんは、
「自分でベッドから車椅子に移譲することができて、車椅子を自分でこげるようになる」といったような目標?そういったものがあり、作業療法士さんの方も後半は、細かい作業等のリハビリではなく、全体の体を使って運動することが多かったので、
リハビリが終了したときには結構疲れが残って1人でゼーハーぜーハーしていました😵


最初の数ヶ月はまず腕を動かせるように、リハさんに腕をサポートしてもらいながら、腕を上げ下げしたり横に広げたり、またおもりをつけて一緒に回数を数えながらリハビリしていました

またリハさんは最初に大体マッサージをしてくれます☺️💡
腕のマッサージやまた足を重点的に動かしてくれました
私は両足自体全く命令を出しても動かすことができなかったので、そういった毎日のマッサージなどは、私にとって本当にとても助かりました


2ヶ月ぐらいリハビリをした後、腕を動かすことができるようになり、とても嬉しかったのを覚えています
また、自分でご飯を食べることができるようになりました!
ご飯を食べることができるようになったといっても、箸とかは使えず自助具といったものを使って、フォークをその自助具に刺して手にぐるっと巻いてサポートして、それで入院食を食べていました
最初は入院食を食べること自体とても難しかったのですが、6ヶ月入院生活をした後は、普通の人たちが食べるみたいに食べれるように何とかなりました💦😅

またナースコールもリハビリセンターに入ったばかりの頃は、重症な患者さんのためのナースコールを設置してくれて、自分の息を吹きかけたり、チョンと指で触って押せるタイプのものだったのですが、
リハビリを毎日して両腕を動かせるようになることができたので、そのナースコールも取り外されて普通のボタン式のナースコールに変えられました💡


後半のリハビリは筋トレみたいな感覚で毎日ストイックに!?


数ヶ月経って年が明けて2022年になったら、リハビリはますます大変なものになってきました💦😅

基本的に何をリハビリでしたかというと、
「プッシュアップ」というものです
私は胸下から足のつま先まではもう完全に動かないので、、💦自分の体を動かすには腕と肩を使うしかないのです


なので腕と肩をひたすら鍛えて、ベッドから車椅子に移るときに自分の腕と肩で座るような姿勢、長座位(ベッドや床の上などにお尻をつき、両足を伸ばした状態で座る姿勢のこと)と言うのですが
その姿勢になって、そこから自分の腕でプッシュアップして、お尻を浮かせて車椅子のほうにお尻を持っていって、
また自分の両足も自分の腕で移動させて、お尻と足がちょうど車椅子に乗れるような位置になったら、
またお尻を車いすのほうに後ろにもっていくため、ひたすらプッシュアップして、車椅子に乗るといった練習をしていました


この練習かなりハードでした💦😵
私自身頸髄損傷になって、胸下から感覚や体幹がないので、まずプッシュアップ以前に長座位を取るのも最初はなかなか難しかったのですが、後半になってその姿勢ができるようになったので、ひたすら車椅子に向けてプッシュアップして、お尻を浮かす練習をしていました!


90度の普通の車椅子に乗る練習をしてみたら

また、私は最初の頃は車椅子はリクライニングができ、チルトができて、そして足もあげられるような、また、自分では自走できない車椅子に乗っていたのですが、
途中からリハさんが「普通の病棟でおじいちゃんおばあちゃんが乗っているような普通の90度の車椅子に乗れるように」と言って、
普通の90度の車椅子に乗れるようにするための練習もしていました!
そしてこぐ練習もしていました💦😖



「ただ座るだけじゃん!」と皆さん思うかもしれませんが、
これが本当に難しいんです💦💦😭
胸から下の体感がないので、本当にグラグラしていて、まるでバランスボールに乗っているような感覚なんです
その90度の車椅子に乗る時は、リハさんに抱えてもらい乗せてもらいました

そしてタイマーを計って、どれだけ耐えられるかよく練習もしていました 

私はもともと低血圧なのですが、頸髄損傷になってから起立性低血圧といった症状があり、急にフラットの状態から頭をあげたりすると、
頭がぐらぐらして耳が遠くなって、目がチカチカしてそういった、一気に低血圧になる症状が出るので、90度の車椅子に乗った時もまず血圧がどんどん低くなっていくといった問題と、
そしてちょうどリハビリセンターに行く前の頃から痛み出してきた体の神経痛が強まったり、お腹の機能が頸髄損傷の症状になったことによって、横隔膜がうまく働かなかったり、、、💦💦



なので普通に座っていても、呼吸がうまくできなくて苦しくて、、、
そんな状態でした😰😰

あるときにはリハさんとその90度の車椅子に乗っていたのですが、段々と視界がグラグラしていき、リハさんに
「今すごい気持ち悪いので、ベッドに移ってもいいですか?😥」とお願いしてリハさんも急いで私をベッドに移してもらったり、とそういったことがよくありました
その時に血圧を測った時、なんと上がが65でビックリしたのを覚えています😱💦


着替えの練習をリハさんとやってみた!着替えることの難しさに直面


またリハビリの1つとして着替えの練習もしました!💦

着替えの練習は作業療法士さんと一緒にしました

私自身体が全身麻痺しているので、腕もうまく動かすことはできないし、両足は全く動かないです
なので、着替えという行為は最初、「自分ではできないのかな」と思っていました
ですがリハビリさんと毎日着替えの練習をしていくうちに段々自分のできることが増えて、少し自信を持てることができました☺️✨✨🌈




着替えの訓練として特にしていた事は、下半身のズボンジャージの履き方と脱ぎ方です
入院中はとにかく着替えをほぼ毎回やっていました

頸髄損傷になる前は、着替えなんて数分でできたものでしたが、この症状になった後は、着替えが30分以上もかかり、
「こんなに大変なんだなあ😣」と思い毎日リハビリをしていました

そのジャージやズボンの履き方なのですが、まず私が持っている入院中に着るズボンに、リハさんが輪っかをつけてくれて、私がそこに腕を通してズボンを履きやすいようにしてくれました💡


それを作ってきてくれて見せてくれた時はとても嬉しかったです
着替えは主に介護ベッドの上でやるのですが、介護ベッドのコントロールで頭の角度を上げたり下げたりしてやる作業です

まずは頭の価格を1番上まで、75度にして、自分の腕で足をつかみながらズボンを入れて行きます
両足を入れ、膝ぐらいまで入れ終わったら、頭の角度を下にして自分で寝返りをしながらリハさんがつけてくれた輪っかの中に腕を通してズボンをお尻の上に上げていくといった操作をします

最初は全くできず、コントロールが難しかったり、若干くじけそうでしたが毎日何度もやっていくうちに、コツを掴んで行リハさんとも
「どうやったらうまく効率的に履けるか」とお互い相談しながらやっていきました
最終的には、履いて脱ぐのが40分ぐらいかかっていたのが、20分ぐらいになりました😄✨💪


頸髄損傷になってからの、神経痛の痛みやしびれとの闘い

そういったリハビリを毎日休みなく3時間していたのですが、

最大の悩みが、自分の神経痛や、自分だけで感じる感覚の痛みが毎日とても激痛で耐えられなかったことです💦💦😰😢😢

痛みを感じる場所は自分の正常な感覚がない胸下から足の先まで、特に右半身が誰かに乗っかられているような、グッと上からも下からもプレスされてる感じです
上からも下からも重みがかかったような感じで「潰されるのではないか」

そして実際に目で見ても何も起こっていないのに、そういった感覚があることで、胸も潰されたような感じで苦しい感覚を毎日味わっていました


それは今も変わっていません、、、
胸下から足先もそうなのですが指もとても痛い思いを毎日していました

親指は大丈夫なのですが、曲がっている人差し指から薬指までの4本、両手で合わせると8本の指がとてもズキズキしていて、針を刺されるような痛みが1日中、ひどい日は自分でフォークを持てないで食べれないような痛さで1日の終わりの夜、痛みに耐えられなくて泣いていたのを思い出します

看護師さんにも痛みを訴えて、「辛い辛い」と言っていて、看護師さんもそれを聞いてくれて「どうにかならないかね」といろいろ対応してくれました

結局先生が神経痛に効果のあるような薬をいろいろ処方してくれたりしました
ですが、どれもこれが効果があるんだ!といったような薬はなく、漢方薬も飲んだりとにかくいろいろな薬を試したのですが、和らぐことがなく、、、


結局先生に言われたのは、
「リハビリセンターでこれ以上痛みに対しての処置を取ることはできないから、退院したら自分でペインクリニックに行って、その神経痛や感覚の痛みについて相談してもらいたい」と言われました

動けないといったことも本当に辛いことなのですが、何よりも毎日襲ってくる痛みやしびれにはとても耐えられないもので、入院中それが原因で泣いてる日々が多かったです


優しくしてくれた看護師さんと介護福祉士さん

6カ月間、1年の半分を半分をリハビリセンターで過ごしたのですが、
最初の日は看護師さんや介護福祉士さんとは全く面識がないので、
毎日話すたびに緊張していました💦

ですが、段々お互いわかってくると、気兼ねなく話すことができ、特に自分にとって

「この人は素敵な看護師さんだなあ」とか、
「人を思いやることができるし、とても自分にとって助かるし、他の患者さんにも好かれているような介護福祉士さんだな」

といったような方々が数名いました
ある1人の看護師さんは、毎日明るく、どんなに忙しくても「疲れた」やため息などマイナスなワードや言葉、弱音を吐いたりしないで、その人と喋るととてもマイナスな気持ちから明るい気持ちになれて、
特にその方が担当の時はいつもハッピーな気持ちになれたのを覚えています☺️💕
その看護師さんは編み込みなどののヘアアレンジが得意で、私もロングヘアなので結いてないと邪魔になるので、よくその看護師さんに三つ編みや編み込みをしてもらったり、

そういった時間がとても私にとって唯一癒しの時間でした

またなかなか他の看護師さんが私のことを車椅子からベッドに完全サポートで移乗したり、また介護ベッドから車いすの方へ完全サポートで移乗する事は難しかったらしく、リハさんみたいに1人でうまくできないのか、3人で来られたり、また全くしてくれない看護師さんなどもいた中で、
その看護師さんは本当に小柄な看護師さんなのでしたが
170センチある私を簡単に移乗してくれてびっくりしたのを覚えています

その看護師さんに
「上から目線で本当に申し訳ないんですけど、移乗上手ですね」と言ったら「色々腰の使い方とかコツがあるのよ」と言っていました

ニコニコしていて今でもとても記憶に残っている看護師さんです🥰✨🌈

またある介護福祉士さんは、どんなに忙しい時間でも私の身の回りのお世話私がしたいことを叶えてくれる、本当に助けてもらった介護福祉士さんでした😢💦✨✨
耳かきをしてもらったり
入院中はずっとテレビやスマホを見るときはイヤホンをしていなきゃいけないルールがありました
私は1日中ずっとイヤホンをしていたので、そのせいかイヤホンの中に耳垢が溜まってしまい💦😰
そのことを言ったらその介護福祉士さんは丁寧にとってくれて、その直後にイヤホンで音楽を聞いたらよく聞こえるようになっていました😭✨💕

またズボンの紐が取れてしまった時も、その紐も直してくれたり
入院中のクローゼットの洋服の整理をしてくれたり
とても話しやすくて、またその介護福祉士さんが勤務中の時は安心することができてとても嬉しかったです

前髪が伸びてきた時も、前髪を切ってくれたり、、、



やっぱり思うのは、どんな病院でも本当に素敵な看護師さんや介護福祉士さんもいれば、
人間性の面で「ちょっと苦手だなあ😣」と感じる看護師さんや介護福祉士さんもいるわけで、
結局どの仕事についていても、人間ですし、それぞれ違った性格を持っているので、
入院中はそういった自分の好きな看護師さんや介護福祉士さんと話すだけでなく
苦手に思っていた看護師さんや介護福祉士さんとも接しなきゃいけない時もあったので、それはとても気まずいし、精神的にも結構ストレスを抱えていました💦
自分でも「半年間よく我慢できて入院できてたなあ」
と自分でもそれは褒めてあげたいです、、!

そんな色々あった半年間が終わり、

2022年4月10日に4月12日に無事に何とか退院をすることができました😢✨その日が来たとき嬉しかったのと同時に、今まで接してくれた看護師さんや介護福祉士さん、そして担当のリハビリさんなど、担当でないリハビリさんでも思い出がよみがえってきて、最後に涙が出てきました

その日勤務していた皆さんにお別れを言って「ありがとうございました」と言って「これからもリハビリを続けてがんばります」とある看護師さんに言って
12日にリハビリセンターを去り、実家に戻ってきました


リハビリしてから変わったこと、実家での生活がスタート

6カ月間毎日休みなくリハビリしていたので、腕も必要最低限動かすことができるようになりました
また両足は動かなくても、自分で着替えの練習などをして、またベッドから車椅子に自分1人で移乗する事を練習して、そういった練習を積み重ねていって今のい自分があるので
もしその半年間全く何もやっていなかったら、体も固まっていてもう動けない体になっていたと思います、、💦



 リハビリを毎日続けてどんなに神経痛や感覚の痛みが痛くて、激痛で耐えられなかったとしても、リハビリだけは決して休む事はしませんでした

帰ってきてから、両親にも「そんなに動くようになったんだね」とびっくりされました

6カ月という入院期間はとても長いものでした
そして精神的にもストレスが溜まって憂鬱になったり、
食べ物を受け付けられない時期もあって、半年間で17キロも痩せちゃったりとにかくいろんなことがありました

ですが、私が頸髄損傷になって思ったのは、看護師さんや介護福祉士さん、そしてリハさんなどのケアやサポートがあって、私は今までやって来れたんだなと思い、とても感謝の気持ちでいっぱいです




そして何よりも「ありがとうございます」と言った言葉を半年間で1000回は言ったと思います😅✨
これは決して大げさではなく、実際にかなり言っていたなあと思います

それぐらいやってもらったこと、本当にいくら小さな事でも感謝することができるようになりました
「当たり前の大切さ」に気付かされて、

歩けること
食べれること
普通に自分でトイレに行って排泄ができること


頸髄損傷になる前当たり前にやっていたような行動が当たり前じゃなくなった今、その当たり前がどれだけ重要で大切なものだったか、今ひしひしと感じています


退院後も実家で、訪問看護さんや訪問のリハさん、訪問入浴さん、ヘルパーさんなどいろいろな方々に支援やサポートを受けて生活しています

この体になった以上、自分1人だけで生活する事は不可能だと知り、とても絶望的な気持ちになったりもしたこともあります

また9月に頸髄損傷になって、あっという間に1年間経ちますが、未だに自分の足を見ると、とても辛くて泣いてしまったり、まだ完璧に自分がこういった体の症状であることを受け入れられない自分がいます



でもそんな受け入れられない自分を知っていても、毎日リハビリすることやするべき事はやろうと思って毎日を過ごしています


まとめ


長くなってしまいましたね😭💦苦笑

9月2日に頸髄損傷の症状になって、最初の急性病院を含めると約7ヶ月半入院していたことになります
その中で様々な出来事があり、

「自分は何で生きているんだろう」
「生きる価値がない」と何度も思ったり、とにかく色々な経験をしました

今実家にいますが、今後の事について時々考えることもあります

リハビリセンターに再び行って、リハビリをみっちりする
また自分の夢の一人暮らしをしてみる
そしてまた仕事を復帰する

夢や希望はまだあるものの、精神障害を抱えながら身体障害者になり、二重の障害を持ってしまい、自分でも混乱していて訳が分からなくなる時もありますが

今の自分は頸髄損傷で、動けない自分をいつか受け入れることができて、
自分ができる範囲の中で、自分がやりたいことやしてみたいことを前向きに実際に行動に移して、やっていけたらなと今思っています


ひとまずこの記事で入院中の記事は終わりにしたいと思います

だからといってこれで終了というわけではなく、これからの自分の闘病生活等について経験したことなどを記事に書けたらと思います

もし実際に頸髄損傷の方がいたら、私の記事を読んでもらえたら嬉しいです🙇‍♀️😭✨もし症状や病気を抱えてない人でも、こういった病気があって頸髄損傷とはこんな症状でこういったことで苦しんでいるといったようなことを、少しでも理解していただけたらとても助かります🙇‍♀️✨🦋


長い記事でしたが最後まで読んでくれてありがとうございます!
読んでくれている読者の皆さんには本当に感謝しています😢❤️

私を含め💦この記事を読んでくれている皆さんも、体調には気をつけて毎日を過ごしていきましょう!💪✨✨

これからも「世界へのDOOR」そしてこのブログの管理者であるRinをよろしくお願いします☺️✨!





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